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憧れ



 ちらり。
 あくまで自然にさりげなく、…まさか盗み見なんかしてるという事はばれないように。
 1,2、3……ダメだ。これ以上は見ていられない。きっと視線に気づいてしまう。
 さりげなく視線を落として、さっきから読んでない文章に目線を向けてみる。内容は全く 頭に入っていない。不自然じゃないようにぺらりとページを一つめくった。
 再び目線を本から上げる。……うん、大丈夫。ばれてない。
 さっきからあの人は分厚いハードカバーの本を読みふけっている。肩肘をついてそこにま るで首を傾げるように頬を乗せて、本だけに意識は集中していた。
 ここはとても静かだ。ちょっと周りを見渡せば他にも同じような生徒や自習に励む生徒を 見つけることができる。学校全体から見てこの施設を使うような人間というのは随分と限定 される。利用する人間は一週間に何度も足を運ぶし、全く縁のない人間は一年に数回。それ も必要を迫られる時のみ。そんな場所。
 私は利用者側としての立場ではなく利用を促す立場。司書委員だった。そしてここは図書 室。

 本の匂いが辺りを立ち込める。空気は入れ替わりすることもなくしかし淀むこともなく、 日差しを遮られ適度に除湿される場所。
 私は、確かに司書委員としてここにいるけれど本もまた大好きだった。
 本来なら利用者側としてここに入り浸る所だが、普段からここにいられるのなら今よりも 思う存分本が読めると思い趣味と実益を兼ね委員選定時には自ら志願した。
 そしてカウンターの中にいる頻度が多くなればなるほど、よく見る顔ぶれというのも記憶に残る ようになる。
 あの人もその一人だった。

   当初は私も大半を読書に費やしていた。貸し出しや本の整理など仕事もこなしつつ空き時 間はただ本と向かいあうのを常とするような毎日。
 しかしある時から一人の少女が気になりだし、意識してしまえばどんどんそれは私の興味 を奪った。
 あの人は、上級生だろうか? それとも同級生だろうか。はたまた下級生か。
 それすらわからない。

 気になりだした理由は、なんだろう……。
 私は当時まだまだ司書に成り立てて、カウンターで仕事の傍ら本の虫になっていたことは 多かったし、あまり貸し出しや返却にくる生徒の姿も意識して見ていなかった。
 あまり借りる本というのを他人にじろじろ見られるのも嫌だろうし、というもっともな配慮もあったが、 実際は主に本人のためである。
 どっちが本業なんだかって行使混合している気もするけど、そもそも司書委員になろうと 思った動機が不純なのだから仕方がない。
 それは、今目の前の彼女と同じように頬杖をついて読書をしている時だった。
 文章だけを追って、時間の感覚もなくなってきた頃鼻先を風が通った。
 一陣の風だった。スゥッと、この風のない無風状態であるはずの図書館を一筋の風が横切 る。意識が中断させられたのは、それがとてもいい香りをはらんでいたから。
 風と共に通り過ぎるその香りは、きっと香水か整髪量の類なのだろうけれど、こんなにさ りげなく当たり前のようにいい香りをまとっている人は始めてだった。
 風はとっくになくなっており、人の姿も目の前にはとっくにない。
 私は本から完全に顔を上げて少しきょろきょろする。すると右手の方に、長い髪の女の子 がいた。背中辺りまでの長さで、綺麗な黒髪。動くたびに一瞬遅れて、彼女の髪はまるで 自身を追いかけるようにさらさらととても綺麗に流れる。
 思わず数分見とれてしまい、私の頭の中から本のことが消え去っていた。その時からだっ た。

 彼女は、意識してみるとどうも頻繁に図書室に通っている。
 私は人が来るたびに僅かに顔をあげ入室した生徒を見るようになった。
 目的の彼女が来ても、私は他の生徒たちにするようにすぐに本に視線を戻す。
 しかし視線だけは、ほんの僅か縁の上。彼女が通り過ぎる時の後を追う髪と、余韻として 流れる甘い香り。それを捉えてまた顔を上げ彼女の後姿を見とめる。相手は気づく風もない。

 彼女は時に自習したり、特に読書にふけていたり。
 図書室の雰囲気が好きなんだろうか。――図書室に縁のある人間とない人間――彼女はもっぱら 前者のようだった。図書室、図書館というものが彼女にとってごく自然と身近なもの。
 読書をするのも調べ物をするのも自習をするのも、当たり前にこの空間なのだ。
 自覚するほどの興味を抱いている私の気持ちが、どんなものなのかよくわからない。
 気になる。けどそれ以上近づくわけでもなく。
 それこそ知り合いになりたければさりげなく声をかければいいのだ。
 本当に些細な事でいい。会話の糸口さえ見つければ……。何読んでるんですか……それおも しろいですよね……私もその作家は好きなんです……今度誰々の新刊が○日に貸し出しされるん ですよ……などなど。
 勇気がないわけでもなく、しり込んでいるわけでもなく。
 動き出さないこの体は、無性にもどかしくも不思議でもある。
”どんな人なんだろう” それがきっと、この興味の原動だろうに。


「すみません」
「え? …………!」
 目の前にあの人がいた。思わず目を見開くと、その人は全くそんな私のそぶりなど気にす る様子もなくにっこりと微笑み、続ける。
「貸し出しお願いできますか?」
「あ、あぁ、はい。すみませんっ」
 呆然としていた私は大慌てで貸し出しの準備に取り掛かる。目の前のカウンターにはどう もさっきまでのとは違うハードカバーの本が差し出されていた。
 慣れている作業のはずなのに、手元が狂う。
 バーコードを読み取って、隣の機器から用紙を印刷して……。
「その本、おもしろいですか?」
「え?」
「ずっと読まれてましたよね。随分熱心な様子だったから、おもしろいのかなって」
「あ、え、えっと…」
 し、しまった。唐突にそんなことを尋ねられても、見た目どおりまじめに読みふけってい れば何の問題もないはずの質問だけど、ただのポーズだったから答えようがない。
 それに私は一瞬で顔の温度がかっと上昇した気がした。
 見られていた。私が顔を上げている、その間をぬって私の姿は見られていたのだ。
 夢中になって読みふけっているかのような私を。それともちらちら彼女を気にするような 視線を……?
 心臓が高鳴りだす。ば、ばれていたら……とてつもなく恥ずかしい。引かれないだろうか。それだけが心配。
「お、おもしろいですよ。つい目が離せなくなるような……」
 胸の内の動揺を隠しながら、顔で笑う私。
「そうですか。どんな内容なんです?」
「え゛」
 思わず今度は顔が引きつってしまう。いや、これは普通の会話だ。至って普通の。どこに でもある。読書好き同士の会話。何も不思議はない。どうしてこう私ばかり焦るのかという と、私が本来の行動を取っていなかったからである。
「み、ミステリーです。タイトルはその……『彷徨う亡者 ―その見えない影―』…」
 表紙を差し出しつつ紹介する風にしてタイトルを確認したつもりが、今更ながらそのタイ トルを知り驚く。目が飛び出そうになった。なんだこの禍々しい表紙は……。
「ホラーですか?」
「ほ、ホラーではないデス。ホラー風ミステリーです」
「へぇ。おもしろそうですね」
「お、おもしろいですヨ」
 何の疑いもかけないようなその眼差し。いわゆるにっこりとして私を見下ろしている。
 とっくに機器から印刷され所在なさ気に棚引いていた用紙をぴっと切り取りながら、私は うふふと微笑んだ。相手も同じように返す。顔で微笑んではいるが、内心はそれどころでは ない。
「読み終わったら、今度貸してくださいね。私も読んでみたいから」
「は、はい。もちろん」
「貸し出されないといいなぁ」
「だ、大丈夫ですよ。きっと」
 こんなもん誰が借りたがるだろうか。否、いない。
「予約しておこうかなぁ……」「よ、よやく……?!」
 思わず上ずった声を出してしまった私を、今一瞬ちらっと横目で見られたような気がする けど、気のせいだろうか。
「いや、やっぱりいいです。これ読んでからにします」
「は、はい。きっとその方がいいと思います」
「読み終わったら、話聞かせてくださいね」
「え?! あ、いやもちろんです」
「良かった。それじゃまた」
 そうしてもう一度にっこりと微笑むと、図書室から出て行き角を曲がり、すっかり姿は見 えなくなってしまった。
「…………」
 それからもしばらくの間、呆気に取られていた。ようやく意識が戻ってくると、今更のよ うに今度は冷や汗が背中を流れていく。
「び、……びっくりしたぁ……」
 胸に手を当て呼吸を整える。「やっぱり、本はしっかり読んでないとダメね……」
 そうすれば、こんなに冷や冷やしないですんだ。もっと言えば一つの本がきっかけでもっ と話が進んだかもしれない。なんて惜しいことをしたのだろう。……今度からは、既に読ん である本でも見つけてカモフラージュにしようかしら。
「ふぅ」一つ大きなため息をついた。
 ほんの少し心を落ち着かせてから、本をひっくり返しあらすじを見てみる。
「えぇと、なになに……、……、……」
 ざっと読んでみたところ、なんとなく腑に落ちない説明であったが、最後の最後の文字が目にとまる。
「ホラー……」
 タイトルとは名ばかりらしい。
「ど、どうしよう、ホラーはちょっと……」
 というか、読むのこれを?! 私が!?!!?
 呆然としていたしばらくの後、手元のパソコンに慌てて向き直る。
 そしておぼつかない動作で本のバーコードを読み取った。
「か、貸し出し名、1……、予約1…」
 こ、こんな本を読みたがる人間がいるのか……。
 それもこれ今日返された本らしい。返却期限は明日。とうことは……。
「あ、明日までにこれを読まなきゃいけないわけぇ?!!?!」
 結構な厚さの本である。そんなに読むのは遅いわけではないが、それでも結構かかる。
「いぃやぁぁぁぁ!!」



 ふと遠くの廊下で、髪の長い少女が足を止める。何か気に留めた風に心持ち顔を上げ、空を仰いでいるようだった。
「ふふ」
 その後姿が愉快そうに見えたのは気のせいだろうか。






UP 2008/5/9


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