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恋心



 恋をしたあの子は、とても魅力的だ。
 いつも一緒にいたはずの幼馴染なのに。
 恋仲の人と会う前の彼女の、朝からどこか忙しない態度。
何時間もかけて服と自 分の身なりを整える姿、見落としがないか指折り数える姿は日曜の朝から忙しい。
 落ち着く様子もないまま、あっという間に過ぎ去った時間を今更のように確認し、 日頃の登校姿からは想像もできないほどの
遅刻寸前で家を飛び出す慌ただしさは、 とても新鮮で驚いてしまう。

 それでもいつもどこかあの子は、嬉しそうで楽しそうで幸せそうだ。
 恋をしている。
 恋をしている、女の子の姿だ。
 今まで一緒に寮で生活してきた中で、あんな姿は見たことがなかったのに。
 すっかり色気づいちゃって……。
 そうは思うのに、どこかで心に引っかかりを覚える自分がいる。
 ボーイフレンドに会うのに、とても気ぜわしい彼女。
 どこに居たって私の目を引いて、興味を抱かせる。
 一言でいえば、とても魅力的だった。
 恋をしたあの子は、とても魅力的だった。

 ―――

 だからと言って、自分もそうなりたいと思ったわけではない。
 むしろ、誰かが自分のためにおしゃれをしてくれる。
 いつも以上の、いや、自分以上の自分を見せるために最大限の努力をしている、そんな 健気な様子に私はとても惹かれてしまった。
 可愛いな。
 それを意識してからは胸のドキドキを感じるのを覚えるようになった。
 私もあんな風に誰かから思われたい。
 自分が誰かを思いたいとは、思わなかった。
 そう自分で認識する感情を、私も誰かに委ねてみる事にした。
 私も「女の子」と付き合うことにしたのだ。
 幸いな事に女子高では後輩が憧れから上級生に告白してくることは日常茶飯事である ことだった。
 いつもは断るその告白を、受けてみたのだ。
 デート当日、私もそれなりにおしゃれをしてみて約束の時間に約束の場所へ向かってみる。
 制服ではない、女の子らしい恰好をした、どこか落ち着きのない後輩がそこに立っている。
 可愛かった。
 声をかければ顔を上げ、とても嬉しそうに顔を綻ばす。
 その顔はどこか頬が赤く、やはり彼女も恋をしている女の子の顔をしていた。
 聞けば約束の時間の一時間前からやってきていたらしい。
 驚くと同時に嬉しかった。いや、嬉しいよりも驚きが勝っていた。
 きっと楽しかった逢い引きの日。もちろん何もなくその日は別れることになる。
 ……けれどなぜだろう。胸の内にあの穏やかな気持ちが生まれてこない。
恋をしている 女の子を見たときの、あの嬉しくなるような気持ちが生まれてこない。なぜ……?


 答えを出せないまま、私は帰路につく。
 そこには遅くなった私をキッチンで待っていてくれた幼馴染がいた。
 夕飯はまだ?と聞いてくる。
私は取ってきてないことを言うと、彼女はそっかと言いながら 用意をしてくれるわけでもなく、テーブルでにこにことほほ笑んでいた。
なに?と尋ねると 彼女は何も言わないまま首を横に振る。とても嬉しそうな表情だった。
 理由もわからないのに、なぜか私もその表情に言い知れない幸福感を覚えた。


 ―――

 いくらデートを重ねても、一緒にいても、私はとうとう胸の高揚を覚えることはなかった。
 埋まらない距離は私だけが感じるものでもなく、作りだす二人が口に出さずとも感じるものだ。
 彼女にとっては私以上に心の距離を感じていたのかもしれない。
 「憧れから」、そうどこかに言い訳を求めて、私達二人はまもなく別れた。
 また一人の時間に戻る。
 日曜の朝。
 やはり彼女は忙しない様子で身支度を整える。
 彼女がこうなりだして数カ月。よくもまぁ同じ状態が続いているものだ。
 でもどこか少しだけ落ち着きとか余裕みたいなものも生まれただろうか。
(どうか このまま幸せでいて。)
 テーブルで朝食を食べながら私はひっそりとそんなことを思う。
 すると、なぜか胸の奥のどこかがちくりと痛むのを感じた。思わず胸を押さえる と、廊下をばたばた行き来していた彼女が気づく。
「大丈夫?」
「うん。きっと大丈夫」
 それはそうしていれば胸の内からすぅっと消えて行ってしまう、刹那的なものだったから。


 なぜだろう。あれからいくらか考えた。
 一応恋人のはずだった人と。自分を想っていてくれた人と別れたというのに、私 の心は付き合い始めた頃も、別れた時もあまり大きな動きを見せなかった。簡単に いえば、傷つかなかった。
 デートに精一杯のおしゃれをしてきてくれた彼女を見ても、可愛いけれどそれ以上のことは 思わなかった。胸は「ときめかなかった」。
 ……ときめく?
 ドキドキではなく、ときめく?
 ときめくというのは、…………。

 ……
 考え事に時間を忘れていた、夕食後のリビングでの時間。
 何かが見つかりそうな時に、私の前におもむろに座る人がいる。
「別れたって、本当?」
 心配そうな顔。眉が八の時を描いている。
 「うん」としか、私は答えられなかった。無意識に視線を外す。
 彼女は何も答えなかった。ただそこにいた。
「…………」
 彼女を前にして、私は彼女の様子を忘れ、ただ自分の中に没頭する。何か……、 今何かが掴めそうなんだ……。それは……。

「…………燈子は、恋をしてなかったのかもね」
「………………え?」
 その時何かが胸に宿った。答えを閃いた。
 それ以上何も言わない彼女の顔を見る。彼女も私から視線を外し、斜め下を見ていた。
 恋……。
 私は、恋をしていなかった。
 ……私は恋を知らない? …………ううん、そんなことない……。だって…………。

「恋を、してなかった……。…………でも、私…………」
 その時に気づいた、自分の気持ち。気持ちの、メカニズム。
 私、知ってるよ。胸のときめき。だって……――
 なぜそれが起こるのか、今知った。


……


 彼女は今日も朝から忙しい。服に髪にメイクと忙しい。
 そんなに慌てなくても、時間はまだたっぷりあると言うのに、そんなことを言う 私に聞く耳も持たず、やはりとても慌ただしい。
 日曜の朝は、大概こうだ。
 学校がないというのに、いつもの平日よりもどこか忙しない。こんな状態が一時 間以上続く。そして家を出る時はいつも遅刻寸前の様相だ。
 なのに私の表情は柔らかい。穏やかな気持ちになってしまう。
 とても幸せな気持ちになってしまう。
 それは私が彼女に恋をしているから。
 恋をする魅力的な彼女に、恋をしてしまったから。
 それに気づいてしまった。
 芽生えたばかりの気持ちは、とても穏やかで、あどけなく、未熟だ。
 穢れを知らない、淡い恋心は、時間を共にすることだけに幸せを感じている。
 今はまだ、このままでいい。
 いつか、「私に対して」、その気持ちを向けてほしい。
「私に対してだけ」、想ってほしいなんて気持ちが生まれて、切なくなるまでは――






UP 2009-09-15

この話結構好きなんです。
作っていた時の感覚としては、潮風の時と結構似てます。
手がどんどん進んでいった感じ



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