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籠の中の鳥



――知ってるかい? あそこの巫女様は、なにやら妖怪と交わっているらしい

 まことしやかに流れた噂。里の地を這うように、ねずみ算式に増えていく。 

 ――しかし、その妖怪とやらは大変麗しいらしい。金色に輝く頭髪、蒼い瞳。その姿形、名前は異人さんを彷彿とするらしい。

   それは、さながらねずみの形をした、透明な煙。知らぬうちに霧のように蔓延し、口から耳から、体内へと侵入し、そして広がっていく。

 ――化け物でなければ、いいんでねぇか。
 ――そもそもあそこの神社は常に妖怪が跋扈しておるわ。

   風が煙を散らし、少なくとも薄くなるまでは、待たなくては。

   ――その妖怪は、大変、美しいらしい……


   噂なんて気にする性質ではないのだけれど、少し面倒だなと思って、私はその噂の相手と会うのを控えていた。
 今は、ようやく落ち着きを取り戻した頃だろうか。そして、私の心も大分、寒さを思い出した頃。

 連絡手段がないわけだから、そろそろ会いたい、なんて伝えられるわけもなく。
 伝書鳩ならぬ、伝書烏という手もあるけれど、そんなプライバシー駄々漏れの手段を使うわけにもいかない。
 神社に訪れる妖怪や、妖怪じみた人間は、人里の噂など鼻にもかけず、いつもどおりに接してくれる。彼女たちは私の気を紛わしてくれたけど、解決にはならない。
 家に訪ねればいいのだけど、居なかったら、行き違ったらどうしよう。
 それらが、ただでさえ重い、出不精の腰を余計に重くしていた。

 ……そんなわけで、仕方ないから持て余した時間を、たまにはこちらから誰かの茶と煎餅をむさぼりにいってやろうと外に出た所、思うだにしない場面に遭遇した。
 霧がわずかに纏う魔法の森を超え、そこは人の里と妖(あやかし)の境界線。
(あ……)
 香霖堂という道具屋のちょうど頭上で、私は数瞬、時を止めた。思考が止まったのだ。
 店屋の外に、人より大きい、古ぼけた黒い箱。その前には、磨きがかった金髪の絹糸。
 ――その時の霊夢は、それが外の世界でいうところの"楽器"であり、"ピアノ"という呼称であることを知らない。
 同じ魔法の森の僻地に住む、アリス・マーガトロイドが、椅子に腰かけ、そして耳心地のいい音色を奏でているのだった。
 途端に心臓が高鳴りだす。体から力が抜けていく気さえしてきた。緊張している。
「……」
 手櫛でちょっと前髪を整えてから。
「アリス」
 降り立って話しかけたものの、すぐには返事が得られない。なにやら難しい顔をして、人にしたら二人分ほどの黒い箱に向かいあい、若干額に汗を浮かせている。
 見ると、おそらく普通の人間の目にも分かるほどに、アリスの十の指からは金色に光る魔力が放たれている。
 その十指は、なにやら白と黒の、連続した……そう、歯のようなものに置かれている。
 偶然にも、やっと会えたのに……。少しだけ置いてけぼりをくらったような気持ちになる。
「あ、霊夢」
 アリスの瞳が私を捉える。糸が切れるように、指先から魔力が、彼女から漂っていた緊迫感が、汗が、彼女から引いた。
「アリス」
 言葉が途切れる。捉えた互いが、交わった視線が、なぜか感慨深くて、ただ見つめあってしまう。
 言いたいこと、したいことがたくさんあったはずなのに、いざとなったら何も出てこない。
 ぎこちない。心の片隅をもやもやさせながら、私は気を取り直すように、アリスが向かっていた箱に指を向けた。
「それ楽器?」
「そうよ。ピアノっていうらしいの」
「ふーん」
「いい音色だったでしょ?」
「そうね。素敵な音色だったわ」
 素直に褒めるとアリスが柔らかく微笑む。それは今まで聞いていた音色よりも優しく、心の中の柔らかい部分を、キュッと掴まれる感覚がする。
 素直な感想だった。どこまでも深く、濃く、奥行つかめず漂う魔法の森の中で、僅かな陽を浴びながら奏でられる音色は、そこに溶けこみ、あまりにも自然だった。
「そういえば、それリリカの持ってる楽器に似てるわね」
「そうそう。あれと同じ原理よ」
 なぜそのようなものをアリスが奏でるのか? ちょっとした実験よ、と彼女。
「楽器弾けたの?」
「弾けないわ。というか、正確には弾いてないわ。香霖に参考画を見せてもらったんだけど、とてもじゃないけどあんなの無理」
「じゃ、どうやって?」
 アリスはそこで片目をつぶり、まるで小さな子供が悪巧みを考えたような、いたずらっこのような笑みを浮かべる。
「幻想郷一、器用な存在は誰か、ということよ」
 そうして瞳を閉じ、瞬時のうちに、集中し、魔力を高めていく。
 さっきよりも、ピアノ全体が金のオーラに包まれ、そして歯――鍵盤というらしい――を指が駆けはじめた。
「わぁ……」
 早い!そして、まるで右手、左手が、それだけで生き物のよう。
 弾いていないというには、両指は鮮やかに、波のように鍵盤の上を滑っている。
 彼女の手先の器用さは知っていたけれど、こんなにわかりやすく目に触れたのは始めただった。
 一旦集中し始めた彼女は眉間にしわをよせ、瞳を閉じ。始まった演奏は序盤で。私は当初の目的も忘れ、ただ黒い箱に頬を置いた。

 ――金色に輝く髪、蒼い瞳。その姿、名前は異人さんを彷彿とさせ、
 大変麗しい……――

 そうなのよ、人形のように精巧な顔立ち。
 彼女は美しい……
 


「おし、まい」
 ぱちぱちぱち。
 思わず拍手。疲労感をにじませながら、アリスはにっこり。
「本当は音色にも魔力を乗せられるといいんだけどね。それには、本格的に取り組まないとダメそう」
「いや、十分凄いわよ」
「惚れ直した?」
「ぶっ」
 そこは見直した? の間違いじゃないか、と言ってやると。
「今更じゃないの、そこは」
「まぁね……」
「…………おいで」
 手を差し伸ばされる。さっきまで美しく鍵盤の上を流れていた手だと思うとドキドキした。触れてもいいものか。
 わずか数センチ、躊躇っていると、それに気付き、むしろ覆うように、アリスの手が伸ばされ、キュッと掴まれた。
 そしてそっと彼女の隣に座らされる。
「ここ外……」
「こうして二人で弾く形もあるらしいわよ」
 そうして、アリスは、さきほどよりも穏やかで優しい曲を弾き出す。
「綺麗な曲……」
「霊夢のためを想って弾いてるからね」
 頬が熱くなる。
「………………あんたも、物好きよね」
「……」
「私なんかの、どこがいいんだか……」
「霊夢」
「……なによ」
「知ってた? 私、あなたにべた惚れなのよ」
「……っ」
「あなたしか見えてないのよ」
 頬に手を添えて、優しいまなざしで。
「アリスは……ばかよ……」




「んっ……」
 閉じた瞳の間から、なぜか涙が溢れそうになった。
 夢中で舌を絡めながら、ベッドに二人でなだれこむ。
 スプリングの軋む音を聞きながら、私達はベッドに密着して腰かけた。
 なぜだか気持ちが逼迫して、私はアリスのケープの辺りを掴む。
 アリスの手がそっと首に添えられ、反対側を口付けられる。優しい舌の感触と、たまに触れる唇と息遣い。何かがせり上がってくるような感じがして、眉をひそめた。
「霊夢、好きよ……」
 恥ずかしくて言えないような言葉を、いとも簡単に口にされて、私の心を固く塞ぐ、意固地な部分を解いていく。
 手を絡み取られて、ギュッと恋人繋ぎをされた。もう片方は腰を抱かれ、そうしてまた優しく口付けされる。その頃には、きつく掴んでいた自分の拳からは力が抜けていた。
「可愛い」
「……可愛くないってば……」
 あまりにも甘く囁くから、つい顔を背けてしまう。
「本当よ」
 腰を引き寄せられ、そっと顔に手を伸ばされる。頬をかすめ、顔に掛かる黒髪を、耳に優しくかけてくれる。
「ずっと逢いたかったわ」
「わ、私も……」
 アリスの瞳が、「おや?」と口にする。
 顔の温度が上昇する。
「ねぇ、……ちゃんと言って?」
「っ……」
 手持ち無沙汰に、反対側の髪を優しく撫で、一房取って。愛おしく優しく、耳にかけながら、そんな事を。
 アリスに髪に触れられるのは気持ちいい、けれど、これだと顔の赤みを隠せず、全て彼女の瞳に映してしまい恥ずかった。
 なのに、
「無、理……」
「霊夢の言葉で聞きたいの」
 髪に口付けて、花が咲くような微笑をくれるから。
「私も、アリスに逢いたかった……ずっと……、ずっと」
「うん……」
 少しだけ紅を差す頬と、照れた瞳……


 ――アリスは綺麗だ、妖怪とは思えぬほど……

 ――巫女様は妖(あやかし)に捉われてしまったのかねぇ

 最初は意識すらしてなかったわよ。自分よりも相当小さい、あんなちんちくりんを。
 けれど、どんどん美しくなった。

 ――捉われている
 違う

 トサッ、
「…………霊夢?」
「……」
 私の体を、ゆっくりと開く準備をしていたアリスを、ベッドに優しく押し倒した。
「今日は…………私がしてもいい?」
「え、えぇ……」
 恥ずかしさを堪えてねだってみる。こんなことを言ったのは初めてだった。
「…………どうしたの? 霊夢」
 頬に差し伸ばされる綺麗な手。その内側へ、優しく口付けた。そのまま舌で味を確かめ、指を含む。
「……っ」
 体の下のアリスが眉をひそめる。音を立てて、さらに指を吸うと、頬を紅くし、枕へと埋める。
 晒される耳元、首筋。さらに、乱れた服から覗く白い鎖骨。その下の膨らみ。
 白い肌に紅が差す様は、扇情的だった。

 ――私が、捉えてるの

「あ、霊夢っ……」
 いつもしてくれているように、服の上から胸をまさぐる。けれど優しく壊れ物を扱うように。ほんの少しわざと、じらすように。
 アリスの両手が私の髪をかき分け、背中へと回される。
「もっと……」

   ――捉われていたい

 何ものにも束縛されないはずの私が、禁忌に捕まりながら。

「……あっ」
 太ももに触れていた手を、唐突に一番敏感な場所へと向けてみる。
「いきなり……」
「その声が聞きたかったの」
「もう……」

 いつもの仕返し? 睦言の中で、くすくすと笑みを零しながら。
 すぐに真剣なまなざしになって、顔を近づけあって、

「好き……」

 どちらが口にしたか、わからない愛の言葉が、二人の間に落ちた。



 end






UP 2012/12/31





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